「難しい勉強」と「めんどくさい勉強」のどちらがより嫌いですか?

私は「めんどくさい勉強」のほうが嫌いです。たとえば、中学校のときに国語でやらされていた語句調べ(教科書の語句リストに載っている語句を辞書で調べてノートに書くというもの)なんて大嫌いでした。「知らない語句だけ調べればそれでいいじゃん。それに覚えればいいんであって、ノートに書く必要もないでしょ」と思っていましたし、今もそう思います。

「意味のないめんどくさい勉強」は、本当は勉強ではなくて、ただの作業だと言ってもいいでしょう。ただ、こういう作業的な勉強は間違えることがなく、やった成果が目に見えるため、ある種の生徒からは好まれるのです。「あまり勉強は得意でないけど評価はされたい」というまじめな生徒が、「ノートを作ってそれを提出すると評価される」というシステムに出会うと、作業的勉強大好き人間が誕生してしまう可能性があります。

こういう生徒はまじめなので勉強はします。ただ、そこに思考がありません。漢字の勉強をするときには、その漢字を自分が書けるかどうかにかかわらずとりあえず書く。数学の勉強をするときには、すでに解き方がわかっていると確信できる問題だけを解く。解き方がわからなければ解説を書き写す。英語の勉強をするときには、自信をもって訳せる文だけ訳し、そうでない文は訳例を書き写す。こんな勉強は「語句調べ」と同じです。思考を伴わない作業でしかありません。

上のような勉強をしている自覚がある人は「意味のないめんどくさい勉強」は即刻やめましょう。そして、「難しい」と思って避けてきた問題に腰を落ち着けて取り組む時間を増やしましょう。解けそうにない数学の問題に何時間も向き合う。解説を書き写して終わるのではなく、その解説の文章を自分が書けるようになるには何が必要なのかを考える。そういう勉強が大切です。考えている間には目に見える成果は何も生み出されないかもしれません。ノートには、試行錯誤の跡がぐちゃぐちゃと残っているだけでしょう。しかし、脳にはきちんと思考の跡が刻まれているはずです。勉強した結果をノートに残すことより、脳に残すことを考えてください。

しかしながら、「めんどくさい勉強」にだって意味のあるものはあります。たとえば、英語の単語をひたすら覚えるのは「めんどくさい」ですが「意味のある」勉強です。英文をノートに全訳することも、非常にめんどくさいですが、時には意味のある勉強になります。

「要領は良いけど伸びない」生徒は、「難しい勉強」だけを重視して、「めんどくさい勉強」を忌避する傾向にあります。「こんなの簡単」「これを覚えるだけでは問題は解けない」という気持ちが湧いてきたら要注意です。「簡単なことを本当に楽に遂行する能力」はたいてい「めんどくさい勉強」の積み重ねによって獲得されます。「めんどくさい勉強」はできるだけ避けるべきですが、避けてはいけないときもあるのです。その見極めをすることが重要です。